カテゴリー「コミュニケーション」の記事

これから発語することってある? その3 -12歳からの発語-

 久しぶりの更新です。

 4月に書いた「ひさ吉のコミュニケーション行動 2009」という記事において、わずかですが音声をコミュニケーションに使えるようになったということを書きました。
 このデータを取った当時はまだ、母の“ことばで!”という無言の圧力(プロンプト?)によってことばを出していた感じですが、最近では、限られた場面ですが自発的にことばが出てくるようになりました。
 まとまった記録については、例年通り3月ごろにとろうと思いますが、今のところ、「おかし」、「トイレ」、「(ジュースの蓋を)開けて」などは、本人から言ってきます。(発音は、母が何とかそれと聞き取れる程度のあいまいなものですが)

 一般的に発語があった場合、「ことばが出てきた」という言い方をすることが多いと思います。つまり「知らないうちに」「勝手に」出てきたというニュアンスです。
 「ことばの発達を促すためには」というようなことが語られるとき、よく言われるのは、「適切な言葉掛けをする」、「コミュニケーション意欲を高める」などを地道に続けていくことで、「ことばが出てくる」と言われていて(私が知らないだけで、もう少しテクニックのようなものもあるかもしれませんが。。。)、私自身もそのようなことに気をつけて日常生活を送っていくうちにことばが出てくるものだと思っていましたし、(それほど熱心ではないけど)そこそこやっているのにことばが出てこないので、大方諦めていたんです。

 ところが、今回、以下の取り組みを行うことにより効果が認められたので、そのことについて書きたいと思います。

1.取り組みを行った当時のひさ吉の状態

 まず、取り組みを始めたころのひさ吉の状態について書きます。

Ⅰ.音声模倣できる単音

 単音で、音声模倣できる音は以下↓のとおりです。他に「ゃ」「ゅ」「ょ」の入る音(拗音)はすべて発音できません。 

 ぱ  ば  だ  ざ  が  わ  ら  や  ま  は  な  た  さ  か  あ
 ○  ○  ×  ×  ○  ○  ×  ×  ×  ×  ○  ○  ×  ○  ○
 ぴ  び  ぢ  じ  ぎ    り    み  ひ  に  ち  し  き  い
 ○  ○  ○  ×  ○    ×    ×  ×  ×  ×  ×  ○  ○
 ぷ  ぶ  づ  ず  ぐ  を  る  ゆ  む  ふ  ぬ  つ  す  く  う
 ○  ○  ×  ×  ○  ○  ×  ×  ×  ×  ×  ×  ×  ○  ○
 ぺ  べ  で  ぜ  げ    れ    め  へ  ね  て  せ  け  え
 ×  ×  ×  ×  ×    ×    ×  ×  ×  ×  ×  ×  ×
 ぽ  ぼ  ど  ぞ  ご  ん  ろ  よ  も  ほ  の  と  そ  こ  お
 ○  ○  ○  ×  ○  ○  ×  ×  ×  ×  ×  ○  ×  ○  ○
 ○:模倣してほぼその音に聞こえる音
 ×:模倣してその音に聞こえない音

 いや、しかし、少なかったですねぇ。今でもそんなに変わってないですが。。。表にして○×をつけると、ちょっときついですね coldsweats01
 まぁ、逆に、すぐにペラペラしゃべれるようにはならないということは容易に想像できますので、あんまり根を詰めないで、サイン・指差しなどのコミュニケーションの手段の一つとして、ある限られた場面で「ことば」が使えれば、ぐらいの感じで始めました。

Ⅱ.コミュニケーションのレパートリー

 当時のひさ吉のコミュニケーションについては、以前の記事の記録(「com2009.pdf」をダウンロード)の「音声」の項目以外の部分とほぼ同等でした。(取り組みの直前の記録がないのが情けないですが、この取り組みを行ったのがこの記録をとるのほぼ同時期でした。)
 この記録のように、さまざまな手段を用いて、いろいろな要求を伝えることができるようになってきていました。

2.取り組んだ内容

Ⅰ.手続き
 
① 「サイン」「指差し」などのコミュニケーション行動により要求してきたとき、
    3秒待って本人が何も言わなければ、
    該当する音声を母が発音し、模倣させる。
 ② 本人が、その音声に近い音を出したら、要求をかなえる。
    (「近い音」とは、あまり厳密に考えず、それこそはじめのうちは、
    なんでも発声したらOKぐらいの感じでやりました。)

 これを具体的に「お菓子」の要求について書くと、
 ① お菓子の要求を指差しなどであらわしたとき
   (ひさ吉は「お菓子の収納場所を指差す」ことにより要求する)、
    3秒待って本人が何も言わなければ、
    母が「お・か・し」といって、模倣させる。
 ② 本人が「お・か・し」または、それに近い音を出したら、お菓子を与える。
    (「お・か・い」「お・あ・ひ」などもOK)
 と、なります。

 同様の取り組みを、「おかし」「(お菓子の袋を)あけて」「おかわり」「ふりかけ」について、取り組みました。

Ⅱ.結果
 「おかし」「あけて」:
   これはモチベーションが高かったのか、すぐに習得し、
   自発的に言ってくるようになりました。
 「おかわり」「ふりかけ」:
   一度サインを出してから、”言わないの?”という感じで一瞬待つと、
   発音しますが、自発的に言うには至っていません。

 この結果おいて、
 「おかし」「あけて」は、母がひさ吉に注目していないときに言うことが多いので、発声することにより母がひさ吉に注目するので、自発的に発音する行動が強化され、
 「おかわり」「ふりかけ」については、食事中、母は目の前にいて、わざわざ声を出さなくても、ひさ吉に注目しているため、注意を引く必要がなく、サインで十分通じるため、自発的に発音するには至らない、
と思われます。
 より便利で信頼性の高い方法に移行していくということなんでしょうね。

 また、これが一番驚いたことなんですが、この<手続き>を行った時期を境に、↑の<手続き>によって取り組んだ以外のことば「おふろ(入る)」、「トイレ(行くよ)」、「パン(食べたい)」、などのことばを自発的に言うようになってきました。
 これらのことばは、特に意識して取り組んだのではなく、本人がサインなどにより伝えてきたときに母が対応することばを発音する程度で、模倣させたりしていませんでしたが、コミュニケーション手段として習得していきました。
 私としては、この取り組み以降も、このような<手続き>をそれぞれのことばについて、ひとつずつ取り組んでいかなければならないと思っていたので、勝手に(?)自発語が増えたのは、かなりの驚きでした。
 これは、上記の<手続き>を行うことにより、「ことばを使ったコミュニケーション行動が強化された」ということになるんでしょうか。

3.今後の課題
 
今後の取り組みについては、
  ・ことばの種類を増やす
  ・発音をより明瞭にし、発音できる音を増やす
  ・しかし、「ことば」にはこだわらない
 ことを中心にやっていこうと思います。

Ⅰ.ことばの種類を増やす 
 前項で述べたように、現状としては上述のような<手続き>をふまなくても、それぞれの場面で使うべきことばを示すことで習得する段階になっているようなので、こちらが把握できる要求について、それぞれに対応する「ことば」を母が発音するようにしていこう思っています。

Ⅱ.発音をより明瞭にし、発音できる音を増やす
 
現状、ひさ吉の発音は、わかる人にしかわからない程度のものなので、それをより聞き取りやすくしていきたいと思います。
 これには、以前、ある言語聴覚士の方のブログでご紹介いただいた
 「やさしい発音・発語指導」(上・中・下) 柳生浩 著
という本を使っています。聴覚障害者の方の発音・発語指導のために書かれた本のようですが、発音が不明瞭なひさ吉にとっては有用な本でした。各音が出せるようなるコツというか指導方法がやさしく書かれていて、すでにいくつかの音が出せるようになりました。

Ⅲ.しかし、「ことば」にはこだわらない
 
今後のコミュニケーション手段については、これまでにも言ってきたように、「ことば」などの一つの手段に限定せず、本人の能力やそれぞれの場面に応じて、本人が使いやすくて理解されやすい手段を選択していきたいです。
 また、さまざまな本人の能力を上げていくことで、より使いやすくてより理解されやすい手段に移行していけるので、たとえば、書字・読字などについても、公文教室などを利用して取り組んでいます。

4.取り組みの効果
 
ここまで長々と書いてきてこう言うのもなんですが、「この取り組み自体、効果があるのか?」と聞かれたとき、100パーセント「あります。」とは答えられません。
 それは、今回ひさ吉がこの取り組みで効果が出る状態にあったのだ思われるからです。
 実は数年前に同様の取り組みを行ったことがあったのです。
 しかし、当時は、とりあえず要求語としてひとつの「ことば」を習得すると、他の要求場面でも同じことばを使うようになってしまったのです。
 つまり、「あけて」ということばを習得したら、お菓子を要求するときも「あけて」、トイレに行くときも「あけて」、といった具合です。
 今から思うと、そのころは他のコミュニケーションのレパートリーもぜんぜん少なかったので、そういうことが関係しているのかもしれません。
 このことからも、今回はこの取り組みが有効な段階にひさ吉があったということだけで、 だれでもこの方法で発語を促すことができるというものでもないと思います。
 ただ今回について、残念ながら、細かい分析をして取り組みを始めたわけでなく、ひさ吉の状態から、なんとなく「そろそろこれやってみようかな。」と思ってはじめたので、「この状態だったらこの取り組みが有効」ということは言えないです。(ある程度は、「1.~ひさ吉の状態」で書いたようなことが根拠にはなっているのですが。)
 まぁ、そういうことは、専門家にお任せして。。。bleah
 「今回のこの取り組みが有効だったわけではなく『偶然』このタイミングでこの結果になったのではないか」といわれても否定する根拠もないです。。。  

 

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ひさ吉のコミュニケーション行動 2009

 ここ2、3年、3月になると、ひさ吉の家庭でのコミュニケーション行動についての記録とっています。(前回は2008年と2006年でそのときの記事は、こちらです。)
 
 記録の仕方としては、「そのときの状況」-「トポグラフィ」(どのようにして伝えようとしたか)-「伝達内容」(本人が伝えたかったことをセリフにして記録する)を、2週間の間、重複しないものだけを用紙に記入していきます。
 2週間というと長いようですが、平日は帰宅後で時間は短いですし、ひさ吉のコミュニケーション行動は残念ながらまだそんなに多くないので、逆に2週間ぐらいでやっとほとんどのパターンが出るといった感じです。
 今回の記録は、こちらです。

 「com2009.pdf」をダウンロード

 無発語のひさ吉をよく知っている方は、「音声」によるコミュニケーションが加わったことを私が思っている以上に喜んでくださいます。私ももちろんうれしいですが、世の中では、発語が「ある」のと「ない」とでは、伝えている内容は同じでも評価は大きく分かれる感じがしますね。

 ただ「音声」が加わったといっても、まだ習得過程のものが多くて、完全に自発的に言うのは、「お・か・し」「お・ふ・ろ」だけです。
 あとの「あ・け・て」「お・か・わ・り」「ふ・り・か・け」は、すでにサイン(動作)、指差しによる方法を習得しているので、そちらをやってから母がその要求をかなえないと、音声のほうに切り替えるといった具合です。つまり、まだ完全には音声によるコミュニケーション手段としては習得していないのですが、記録として残すため書いておきました。

 これらの音声を促す取り組みは、ほぼ同時期に取り組み始めたのですが、「お・か・し」のほうがはるかに早く自発的に出るようになりました。
 これは、ひさ吉がくいしん坊だからというのもあるかもしれませんが、他の手段よりも、「より簡単に」「より確実に」要求をかなえられるからだと思います。
 つまり、以前のひさ吉のおやつの要求は、
「母のところへ行って肩を触るなどして注意をひいた後、台所を指差して母を台所のお菓子のあるところに連れて行き、お菓子のある場所を指差す」
というようにしていたのが、
「『お・か・し』と言うだけ」
になったんです。音声のほうが、ぜんぜん便利ですもんね。

 他の「あ・け・て」「お・か・わ・り」「ふ・り・か・け」に関しては、食事中などでバタバタしていて、音声でなくても母が要求をかなえてしまうことがあるのと、本人にとって不得意な音声のほうが他の手段に比べて「より便利というほどでもない」ということかな、と思います。

 私自身、何がなんでも「ことば」とは思っていないので、すでに習得しているものに関しては、声掛けはするけれども言葉のみに執着することがないようにやっていこうと思います。
 やはり、「伝わる」ことが大切ですよね。

 さて、この記録をとった後、興味深い記事を見つけました。
 BOGEYさんという方が「コミュニケーションサンプル」に関する記事(「実態把握のためのコミュニケーションサンプル」「コミュニケーション・サンプルフォーム」)を書いておられ、
 私がとった記録もそれに近いものだと思うのですが、私の記録には「機能」という項目がありませんでした。
 機能は、BOGEYさんの記事によると、「要求」「注意喚起」「拒否」「説明」「情報提供」「情報請求」「その他」に分けられるそうです。(詳しくはこちらの記事に書いておられます。)

 私自身、今まで「手段」のほうにより注目してきていて、その伝えている「内容」に関してはあまり考えてきませんでした。
 そこで、3回分の記録に関し、それぞれのコミュニケーション行動について機能を分類し、数を数えてみました。

<機能別のコミュニケーション行動の総数>

   要求 注意喚起  拒否  説明 情報提供 情報請求 その他
2009年3月    40     2     3     1     6     0     1
2008年3月    32     2     1     1     4     1     0
2006年3月    27     0     1     4     2     0      0

 また、手段に関してもその数をそれぞれ数えてみました。

<手段別のコミュニケーション行動の総数>

   音声  サイン  指差し   物 クレーン
2009年3月     8    13    19    10     0
2008年3月     1    20    10     8     0
2006年3月     0    10     8    11     4

 これをみると、手段に関しては年々、より高度な(?)手段のほうに移行してきていますが、機能に関しては圧倒的に「要求」が多く、多少「要求」以外も増えてきてはいるものの、その増え方は僅かです。
 逆に、2006年には、ガイドブックや広告などを見ながら、以前行った場所や知っているものなどを指差しして、「これ知ってるよ~。」(想像ですが)みたいな行動があったのですが、そういう行動は消えてしまっています。これは多分、私がそういう行動に対してあまりいい反応を示さなかったためだろうと、反省しました。

 今後、やはり「要求」以外のコミュニケーションも増やして行くためにどうしたらよいかということを勉強していかなければいけないと思うのですが、ひとつとしては、そういう本人のコミュニケーション行動の意図をうまく汲み取ったり、相槌を打ったりというようなことをしていく必要があるのかな、ということを思いました。

 

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「カレー作って!」

 この間夏休みが始まったと思ったら、もう8月。
 こんな風に思えるのも、日中一時支援や児童デイサービスなどが利用できるおかげであって、まだ支援費制度が定着していなかった一年生のころは、一日が長かったもんなぁ~。

 さて、夏休みといえばその前に、私がちょっと楽しみにしている「通知表」があります。
 まぁ、世の中で子どもの通知表を楽しみにして言う親なんて、よっぽど成績優秀な子どもを持った親御さんか、特別支援学校に子どもを通わせている親ぐらいなものじゃないでしょうか。

 普通の通知表は、他のお子さんと比べてとか、何かの基準に対して本人がどのくらいできているか、という風に評価されると思うのですが、
 特別支援学校の通知表は、比較対象は数ヶ月前の本人なので、基本的には「○○ができるようになった。」というようなプラス面の評価ばかりが書かれていて、こっちは何もしていなくても、親もなんだか褒められたような気がして、ついうれしくなってしまうんです。
 また、普段、連絡帳などで学校での様子を伝えられてはいるんですが、一学期間のまとめとなると余分なことが書かれていないので、かえって本人の様子がよくわかったりすることもあって、おもしろいんです。

 さて、今回の通知表の中で、
「友だちがしているフリスビーを指して(先生に)『あれがしたい』と伝えることができ・・・」
という記述があって、一体どうやって伝えたんだろう?という思いがありました。

 また、日ごろ児童デイサービスで使用している事業所の職員さんも、
「なんか最近、いろいろ言ってきてくれるんですよね(ひさ吉は「言えない」ので、伝えてくれるという意味です)。今日も自転車に乗りたいと言ってきてくれました。」
と教えてくださったり。

 ちなみに、ひさ吉は無発語で重度の知的障害を持つ自閉症です。

 正直なところ、家では、「お菓子が食べたい」以外の要求はする必要がほとんど無いし(家ではほとんど不自由しない、といえば聞こえがいいですが、まぁ、こちらがかまってやってないということもあるんですよねぇ。。。)、そういう日常的でないことをどんな風に要求するのかなぁ、と思っていました。

 そう思っていたら、つい先日、“そういうことか!”ということがありました。

 その日は、ひさ父(ひさ吉の父)が夕食はいらないといったので、私はどんな手抜き料理をしようかと考え、ジャガイモを刻んでおりました。
 すると、いつもは流し台のところでペットボトルで遊んでいるひさ吉が、ガスコンロの前にやってきて、
 圧力鍋をコンロの上におき、圧力鍋のレバーをカチカチしながら、ニコニコしてこっちを見ています。

 そのニコニコ顔は、なんというか、一度おやつを食べた後、もう少しほしいなぁ、というときに「おねが~い」と要求するときの媚びるような、いたずらっぽい笑顔でした。

 ん~~~~~っ!?

 はじめは、知らんぷりしようと思ったのですが、今までに一度もしたことが無い行動だったので、ちょっと考えてみました。

 圧力鍋?

 ジャガイモ?

 ?

 ?

 ?

 ん?
  

 カレー!?

 
 そこで、片付けてあったカレールーを指して「カレーが食べたいの?」と聞くと、
うん、うん、と頷いたんです。

 “先ほど一緒にいったスーパーでカレールーを買った。”
   ↓
 “今日はカレーだと思っていたのに、母は、ジャガイモを小さく刻んでいるし、肉も人参も玉ねぎもカレールーも出していない。”
   ↓
 “おかしいぞ。”
   ↓
 “このままでは、カレーにありつけないかもしれない。”

と思ったかどうかは定かではありませんが、

 圧力鍋をコンロの上におくことで、

 「カレー作って!」

と伝えてきたのです。

 これだけ読むと、強引な想像と思われるかもしれませんが、私がカレーに切り替えた後、ひさ吉からは何もアクションはありませんでしたので、多分この解釈はあっていたと思います。
 (圧力鍋はもちろん他の料理にも使いますが、他の料理を入れたままにしておくことは少ないので、少なくとも一晩はカレーが入ったままになっている圧力鍋はひさ吉にとってカレーの印象が強いと思われます。)

 
 たぶん学校でも、こうやって使えるもの(顔の表情も含め)すべてを総動員して、いろんな要求をしているんだろうなぁ。
 

 後日、担任の先生と話す機会があって、“フリスビーがやりたい”ってどうやって要求してくるんですか?、と聞いてみたところ、

 「ひさ吉くんがやりたいというのは、すぐにわかるんですよ。目をキラキラさせて見ていますからね。もうすぐ言ってくるなぁ、と思っていると、やってきて『あれ、やりた~い』というように指差しなどしてくるんです。」

 と、言っておられました。言葉やサインのような決まった形ではないので、まわりは想像力が必要ですし、きっと伝わらないことも多々あると思うのですが、

 こういった些細なサインの見逃さない先生方や周りの方の配慮によって、そういったコミュニケーション行動が強化され、鈍感な母やかかわりの少ない職員さんなどにもわかるようにスキルアップしてきたんだなぁ、

 と思うと学校の先生や皆さんに本当に感謝! 感謝!です。

 

 ちょっと、愚痴なんですけど、この話を周りの人に話してみたんですが、私がうれしすぎて説明がうまくできていないのか、なんか反応が薄いんですよねぇ。
 私が何を喜んでいるのかわからないみたいなんです。。。独りよがりかなぁ。
 そういえば、無発語の自閉症って意外と少ないし、こういう段階にいる子って、あまりいないからなんでしょうかねぇ。
 というわけで、ブログでプチ自慢してみました。。。

 

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これから発語することってある? その2

 「これから発語することってある? その1」の終わりの部分で随分もったいぶったいい方をしてしまいましたが、「意図した音を発音する」ということに関して、およそこの一年やってきたことを書きたいと思います。

 ひさ吉は、現在「公文」の教室に通っていて、その宿題のひとつに

 clover「あ」「い」「う」「え」「お」と書かれたカードを見せながら、一緒に発音する

 というのがありました。私の口(口形)も見せ、順番にカードを繰りながら1日に3回通りくらい行います。カードの順番は、日によって変えました。
 これを一年ほど前からやってきました。毎日。。。といいたいところですが、基本的に私がひさ吉と宿題をするのは平日のみで、しかも公文の教室の日と用事があって忘れたりするので、宿題をするのは週3~4日です。

 一年前は、
 「あ」と「い」は、ほとんど正しい音が出せる
 「う」と「お」は、口形は真似できるがそれぞれ近い音になってしまう
 「え」は、口形の真似もできず、それに近い音も出せない
という状態でした。

 正直なことをいうと、私はひさ吉の「発語」について「いまさら」という思いもあって、別のコミュニケーション手段を考えていたので、この宿題に関してはあまり熱心ではありませんでした。一時期、「書字」の宿題のほうにばかり熱心で、よくやり忘れたりしたこともあったのですが、先生に「やってます?」と時々フォローされるので、「とりあえずやっとこう」という感じやってました。

 ・出せる音に関しては、異なる音を出したら一度だけ言い直しをさせ、いい発音ができたら褒める。

 ・口形を真似するだけで、音が出ていない音は、一度だけ音を出すように促し、発音できたら褒める。(握った手をマイクのように本人の口の前に出すと、音を出すことが多かった)少しぐらい音が違っていても褒める。

 ・口形の模倣もできない音に関しては、なかなか音を出そうとしないが(但し、これは本人が「この音はうまく出せない」として他の音と聞き分けているということである)、一度促して、なんでも音が出たら褒める。

 ・促して音を出さないからといって、何度も促したりしない。

ということを、それぞれの段階に応じてやってきました。

 あまり熱心ではなかったのですが、それでもひさ吉が何もいわないと“イラッ!”としてしまい、しつこく声を出すことを強要しそうになることもありました(実際、私が怒ってしまった事もありましたshock)。
 しかし、できるだけそれをグッとこらえて、声が出なくてもあっさりあきらめるようにしたことが(こうすることは親である私にとって意外と難しかったわけですが)、本人も私も長く続けれた要因になったと思います。

 このようなことを一年くらい前に始めて、しばらくして、「え」以外はそれらしい音が出るところまでこぎつけ、そして、ごくごく最近、やっと

 「え」の音が出せるようになりました。

 「え」に関しては、口形が中途半端な形でなかなか真似できない、ということがネックだったと思うのですが、そういえば最近、

happy01 顔真似がうまくなっていました。

 動作模倣は、音楽好きなひさ吉はある程度できていたのですが、なんか最近、面白い顔をするなぁと思っていたんです。
 わたしがニッと笑いかけると口角を上げて(あんまり笑ったようには見えないけど)応えたり、口をタコのように尖らすと真似してみたり、ドナルドダックのような口をしてみたり。
 ひさ吉の場合は、これを意識して練習したわけではないのですが、言語指導なんかでやる口周りの体操みたいなものも、やったらよかったかもしれません。

 もうひとつの宿題は、

 clover裏表に絵カードと文字カードが印刷されたプリント↓を、ひさ吉が順に文字を指し、それを母が読む
 Kumon

 

   
 というもので、毎回ほぼ5枚ずつやりました。宿題に持って帰るプリントは毎回内容が違うものを10枚もらってくるので、一週間でそれを2回通りやってました。

 ひさ吉は、はじめは本当に文字を指差すだけでしたが、そのうちにたまに母と一緒に発音するようになってきたので、母が読んだ後、一緒に読むようにしました。
 今でも、すべての単語を一緒に読むわけではないのですが、いくらかの音に関しては一緒に発音するようになりました。
 以前は、確実に出せる音しか発音しませんでしたが、最近では、かなりトライして発音する音が多くなっています。(一度、どれだけの音が出せているのか調べてみる必要があるかもしれません。ショックを受けそうですが。。。)
 また、以前は、一音ずつの模倣しかできなかったのですが、二音、三音の単語でも出せる音の順番を覚えているのか、出せる音のところだけ母と一緒に読んだりしています。

 
 私としては、以上の二つ(三つ)のことが、「これから発語することってある? その1」で書いたような状態になったことに大きく関わっているのではないかと思っています。

 これ以外に、公文の宿題では絵カードと字カードとのマッチングや音声による弁別、なぞり書きなどを日に30分くらいやっており、また、学校では「ことばかず」の授業などがあるので、一概に「これだけ」というものではないと思いますが、おそらく大きく関係しているだろうということを書きました。
 ひさ吉自身はこれらの課題を決して嫌がることはなく、わたしが公文のかばんの中を見ているだけでいそいそと私の隣に座って「やろうよ」という感じでしたので(「おふろにはいりなさい」といってもなかなかいうことを聞かないのに。。。)、助かりました。
 どちらかというと、私のほうが、怠け心が起きてしまって、きちんとその時間を作ることが難しかったです。すぐに結果を求めて、進歩が見られなければやめてしまう私が、一年間続けたということは、毎週やらなければならないプリントが手元にあったから、という以外に理由はありません。そういう意味で、感謝したいと思います。

 今後、コミュニケーション手段の一つとして、「ことば」が使えるようになるにはまだまだ道のりが長いと思いますが、まぁ、のんびりやろうと思います。これまでが長かったですから。

 今後のアプローチについて考えがまとまったら、また、UPしたいと思います。

 

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これから発語することってある? その1

 最近のひさ吉は、話すこと、というか、「意図する音を出す」ことにとても積極的です。

 ちなみに、ひさ吉は現在11歳ですが、無発語です。音を出すことは出来ますが、意味のある言葉はほとんどしゃべりません。わずかに、「おはよう」というと、「おーよー」と返すことと、父親が「ただいま」に対し「パパ(ときにパパパ・・・)」と返すくらいです。これだって、やっと2年くらいまでにできるようになったところです。
 
 先日、学校(特別支援学校)の地域活動で音楽療法の会があり参加させていただいたとき、ちょっと驚くことがおきました。

 先生との「あいさつ」のときのことなんですが、
その「あいさつ」とは、先生が一人一人の参加者と、
 先生  「○・○・くん(ちゃん)」
 子ども 「は・あ・い」
 先生  「お・は・よ」
 子ども 「お・は・よ」
というやり取りするというものです。話すときには、そのリズム(タン、タン、タン)で先生が持っているタンバリンを叩きながらします。

 先生が一人ずつと「あいさつ」をしながら回ってこられ、ひさ吉の番になりました。
 実は昨年も参加させていただいたのですが、そのときはひさ吉は音を発することはなく、タンバリンをそのリズムで叩いただけだったので、私は今年もそうだろうと思っていました。

 ところが、なんと、↑のようにちゃんとできてしまったんです。

 私は、感激するどころか目の前で何が起こったのかわからなくて、一瞬きょとんとしてしまい、
 他のお母さんが「ひさ吉くんが話すのはじめて聞いたわぁ」というのを聞いて、
 「私も。。。」と言いながら、やっぱり本当にちゃんと言えてたんだ、と我に返って、改めて事実を認識したのでした。
 そのくらい、私にはありえないことだったんです。
 そして、かなりズレたタイミングで、ぎこちなくひさ吉を褒めたのでした。 coldsweats01

 
 このことで、私が驚いたことが三つあります。

 ・自信を持って、本人が発音していたこと。
  実際には、きちんと発音できていたわけではなくて、「は・あ・い」は「あ・あ・い」、「お・は・よ」は「お・あ・よ」に近い音でだったのですが、これまで、自分が自信が無い音を出そうとすることはありませんでしたので、ある程度の大きさではっきりと言うことができたのには驚きました。先生がマイクを使ってくれたのも大きかったと思います。

 ・「は・あ・い」「お・は・よ」というそれぞれ3音を記憶して発音したこと。
  これまで、いくつかの発音できる音に関しても、複数の音を記憶して言うことはできていませんでした。すでに言っている「おーよー(おはよ)」も今までは一音ずつ区切ると言うことはできなくて、本人にとっては、「おーよー」でひとつの音みたいな感じだと思います。それを三つの音を記憶して一音ずつ言うことができたのは、私にとっては驚きでした。

 ・先生と「かわりばんこ」にできたこと。
  今まで、動作模倣を含めても、ひさ吉は「かわりばんこ」にするということができませんでした。つまり、一定時間見本を見て、「その後」に自分が同じことをするということができなかったんです。つまり、見本を見ながら、ちょっとずつ遅れて同じことをする、という具合でした。今回は、模倣とはちょっと違ったのですが、「かわりばんこ」にするということを理解してでいていたのは驚きでした。これには、話す人がタンバリンを叩くというルールがあったここと、自分の番が来る前に何人かの「見本」を見ることができたので、本人にとって理解しやすかったんだと思われます。

 これらはすべてひさ吉にはできないと、私が思っていたことであり、「ことば」を教えようとしたとき、ネックになっていると思っていたことでした。
 もちろんこのようなことが一朝一夕にできるようになったわけではないと思いますが、それにこちらが気づかなければ意味がありません。

 今回、このような機会をあたえてくださった音楽療法の先生と、地域委員の皆さんに感謝したいと思います。

 実は、その後、地域の学校に交流に行ったときも、自己紹介の場面で、特別支援学校から付き添って行ってくれた先生の持っていたマイクをなぜか「ボクが持つ!」と言うようにひさ吉が持ち、先生が横で言ってくれる声にあわせて自分の氏名を言ったり(発音はまだまだ怪しかったですが)というような、積極的に発音しようという姿勢が見られるようになったのです。
 

 ひさ吉がまだ自閉症の診断を受けて間もない頃、当時かかっていた小児科の先生に
「学校に入る前くらいまでに言葉が出ないと、その後発語する可能性は低いですよ。」
と、言われたことがあります。
 そのときはまだ、就学まで2~3年ありましたので、私は、
「まだ、だいぶ時間がありますよね。」
と、言った記憶があります。
 しかし、その2~3年は、あっという間に過ぎてしまい、気がつくと何の進歩も無いままその年齢は過ぎていました。

 もちろん、これまで何もしてこなかったわけではないのですが、
身辺自立などの様々な動作をおしえることや、絵カードなどを含むお勉強的なことを教えることに関しては様々な情報があって、それなりの進歩もありましたので、どうしてもそちらに意識がいってしまい、
 「意図する音を『発音』することを教える」という、わからないことだらけのものを避けていました。
 言語訓練といわれるものにも毎週通っていましたが、残念ながら「発音すること」に関してひさ吉に進歩を与えてくれるような出会いはありませんでした。
 

 現在のひさ吉は、以前「ひさ吉のコミュニケーション行動」のところで書いたように、コミュニケーション手段として決まったひとつの手段を使うのではなく、そのときどきで便利に使えるもの(指差し、物で示す、サイン、など)をミックスしてコミュニケーションをとっています。(サインを自分で考えるという大技も時々やってくれます。)

 今回のことで、そのひとつの手段として「ことば」が加わる日が来るのかなぁ、とちょっと期待もしてみたくなります。 

 
 今回のことについて、迂闊にも“突然で驚いた”ように書いていますが、実はここ一年くらいやってきたことがあって、多分そのことが大きく関係しているのではないかと思います。ただ、私が大きな期待を寄せていいなかったというだけのことで。。。
 長くなってしまったので、次回、そのことについて書きたいと思います。
 (但し、期待していただくような目新しいものではありません。多分ごくごく一般的な。。。)

 

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「No」を教える その4

 やっぱりこれは、この取り組みの成果なんでしょうか。先日、また担任の先生からうれしい報告があしました。

 ひさ吉は特別支援学校に通っています。
 ひさ吉は、朝、登校すると着替えをして、グラウンドで先生についてもらって何周かランニングをし、その後好きな遊びをします。
 今のひさ吉のお気に入りは、ブランコで、しかも自分でも漕げるのですが、先生に後から押してもらうのを楽しみにしています。

 今回の報告は、そのブランコのときのことなんですが、

 いくらかブランコに乗った後、
 先生が「そろそろ終わりにしよう」と言ったところ、

 泣きながら“もっと押して”というポーズをした、
 つまり、“もっとブランコに乗りたい”と要求したというのです。

 先生は、それを受け入れてくださり、もう少しブランコに乗ることを許してくださったそうです。

 

 これだけ読むと、そんなわがままを受け入れていいのか、ということになるかもしれません。
 でも、ちょうどその前日、別の用事があって去年から引き続き担任してくださっている先生が電話をくださったとき、

 「今、ひさ吉君はものすごく我慢してくれているんですよ。
  (ひさ吉が)まだ慣れていない今年から担任になった先生の指示には、“もう少しこうしたい”という思いがあっても、我慢して従っていることも多いと思います。
  声のかけ方にしても、先生によって違うところもあるんですが、それを受け入れれるようになったところは本人の成長ですばらしいですが、ストレスもたまっていると思います。
  家のほうでは、リラックスできるようにしてあげてくださいね。」

 という話を聞いたばかりでしたし、
 私も学校に用事があって様子を見ていたとき、黙々と指示に従っている様子を見て、本人の成長を感じながらも、その先生と同じようなことを感じていたました。

 

 で、今回の件は、

 本人としては、我慢の限界だったのでしょう。

 “どうしても、今日は、もうちょっと、乗りたい!”

 という先生の指示への「拒否(No)」を、

 問題行動ではなく「サイン」という正しい形で表現できたことが、

 母としてはとてもうれしかったのです。

 そして、その要求を杓子定規に拒否せず、受け入れてくださった先生に感謝しています。

 

 と、なんだかとても大げさな喜びようですが、実はこの「No」を教えることになったきっかけが、同じような状況にあったんです。

 昨年の2月頃、しばらく問題行動(近くにいる人の頬をつねろうとする)が出ていたことがあり、
 原因としては、周りの気を惹こうとしてやっていることがわかったので、問題行動がでていないとき(でる前)に、

 本人への声掛けを少し多くしてもらったり、
 もう少し本人に注目する機会を増やしてもらったり、

ということで、その問題行動はなくなったのですが、

 その問題行動がでるきっかけとなった事柄のひとつに、

 ある日の朝、なんかの事情でブランコに乗る時間が短くなってしまったとき、そのときは指示に従ったものの、後から怒って問題行動が出てしまったことがあったんです。

 もちろん、それも「ブランコ」が原因かどうかは今となっては定かでは無いのですが、そのときの担任の先生の考えでは「もっと乗りたかったのではないか」ということでした。

 私も「いやだ」とそのとき言えたらなぁ、と思ってこの取り組みを始めたので、今回のことは、ことのほかうれしかったのです。

 

 この“「No」を教える”の取り組みは、「その1」で書いたように、

 “イヤなことがあっても、その場では周りに「イヤだろう」と理解されないような(その後、問題行動で表現しなければならないほどイヤな)場面で、「No」を表出できること”

 を目標にしていたので、
 まぁ、表現方法は異なっていますが、
 かなりいい方向に向かっているような気がします scissors

 

 付け足しでですが、このような取り組みをしていると、なんでも「イヤだ」となってしまうという心配があるのですが、

 担任の先生はよくわかってくださっていて、
 ひさ吉が「こうしたい。」という意思を表しても、
 先生は本人の様子を見て、
 「ごめんね。悪いけど、~だからできないのよ。」
 といって、受け入れないこともあるとのことですが、
 我慢できているようです。

 要求が受け入れられることは本人にとってストレスが無いことだと思うのですが、

 「要求は伝わったが、受け入れられない」ということは、

 「要求が表現できず、受け入れられることも無い」よりは、ストレスが少ないことではないかと思います。 

 

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「No」を教える その3

 「『No』を教える」ということで、今、家庭において場面設定をして取り組んでいることを、「その1」「その2」で書きました。
 それは現在継続中ですが、今回は学校のほうからちょっとうれしい報告があったのでそのことについて、書きます。

 学校からの連絡帳で、
「今日、ひさ吉君がはじめて『イヤ』と言いました。」と書かれていました。ひさ吉はしゃべれませんから「言った」のではなく、「表現した」のであるということは容易にわかったのですが、私は現在家で取り組んでいるように、首を振って「イヤ」と言うことを表現したのかと、ちょっとぬか喜びしてしまいました。が、詳しく伺ってみると自分で考えた動作でなんとか「イヤ」ということを表現したようです。

 詳しく言うと、給食の時間、A先生がひさ吉に、パンに(スプーンで)クリームを塗って食べるかと言うことを、言葉と動作で聞いたところ、自分のスプーンを押さえて「塗らない(イヤ)」と言うことを表現した(その後、パンにはクリームを塗らずに食べた)、ということでした。
 報告をしてくれたのはそれを近くで見ていたB先生で、昨年から引き続きクラスの担当だったので、ひさ吉がクリームをパンに塗って食べるのは嫌いだということをご存知だったということと、今までは同じような状況だったら「うん」と肯定するものの悲しそうな顔をして受け入れていたということをご存知だったので、どうするのかなと見ていたところ、自分で何とか「イヤ」ということを表現したので、今までとは違ってきていると思って報告してくださったのでした。

 このことは、今家で取り組んでいる「『No』を教える」ということの成果であるとはいえないと思います。取り組んでいる方法で、表現したわけではないので。。。
 ただ、今までひさ吉だったら、本当は「イヤ」なんだけどどう表現していいかわからないからと我慢していたり、「どうでもいいや」というような無気力な状態であったかもしれないのですが、今は「イヤなものやイヤ!と表現したい」という状態にあるということなんだと思います。
 そういう意味で、今この取り組みをしている私を後押ししてくれることとなりました。

 ところで、最初のところで、「首を振って『イヤ』と表現したかと思ってぬか喜びした」と書いて、この動作による表現を否定したような書き方をしましたが、そうではありません。
 確かに、できれば多くの人が分かりやすい表現であったほうが伝わりやすいとは思いますが、今回は担当してまだ日が浅いA先生にも理解してもらえたのですから、今ある能力をフルに発揮して表現している点で、すばらしいと思います。(教えられたのではなく、自分でどう伝えるかを考えて表現する力がついてきていることに、私は驚きを覚えています!)
 では、他に表現する方法を持っているにもかかわらず、なぜこの「首を振る」ことによって「No」を表現することに取り組んでいるかというと、このように物を使って表現できない場合もあるからです。
 食べたくないものを差し出されたら押し返したり、今回のように使う道具を押さえたりすることで表現できる場合もあるのですが、例えば「帰る?」と聞かれたら、どう表現するでしょう。もちろん、何がしか方法はあるかもしれませんが、その一つの手段として「首を振る」というサインも持っていてもいいのではと思うからです。

 さて、引き続いて取り組んでいる内容の途中経過を書きます。

 課題2:ご飯を食べる場面でふりかけを提示する(海苔のほうが好み)
  結果:首を振って「No」と表現できるようになった。

 課題2’:ご飯のとき、「わさびふりかけ」があることをひさ吉が認識している状態で、海苔を提示する
       (海苔より「わさびふりかけ」のほうが好き)
  結果:首を振って「No」と表現できるようになった。

 課題3:公園や外出中などたのしく遊んでいるとき、「帰る?」と聞いてみる
  なかなか場面を設定する機会が作れず、取り組み中。

以上、です。
 今度、書くときは、教える前に「No」と表現できたとき、だといいんですが。。。

 

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「No」を教える その2

 前回、“「No」を教える その1”において、「課題1」として、
「醤油を要求してソースを差し出されたとき『No』を表現できるようにする」
ということについて取り組み、完了しました。

 今回はその後の取り組みについて書こうと思いますが、その前にこの課題について以前失敗したことを書いておこうと思います。
 そのときのやり方としては、2種類のもの(お菓子、ハンカチ、靴下、シャツなど)を用意し、本人の好みをあらかじめ調べておいて、毎回「好みでないほう」を提示して、「No」のサインが出せるようにする、というものでした。ところが、お菓子以外はあまり好みが安定せず、また、調べたときは好みがあっても、いざ取り組み始めると「好みでないほう」でも別に拒否するほどのことではないのか、あまりうまくいかなかったので、私のやる気が無くなって立ち消えになっていました。お菓子については、他のものよりも好みが強かったのですが、毎回同じお菓子を提示されると、たまには他のものも食べたくなるのか、これもまたうまくいきませんでした。

 さて、そんなことを踏まえて今回の取り組みですが、「課題2」として、以前の失敗にもかかわらず「お菓子」を使うことにしました。
 やはり本人が「こうしたい」という思いが強いもののほうがいいということを考えると食べ物系ははずせないですし、本人の様子が以前失敗したときと随分違ってきているからです。ひさ吉は、以前は親から与えられたものをもくもくと食べるという感じでしたが、最近は要求も強くなってきて、あるお菓子を差し出しても、まだ上の棚に他のお菓子があることを知っているので、「他のにして」というように棚の上を指差すことが多くなっていたのです。そういうわけで、今回はかなりすんなりできました。

 課題2:「好みでないお菓子」を差し出されたら、
      「No」を伝えることができるようにする。

 方法:「課題1」とほぼ同じで、「好みでない」お菓子を差し出したとき、
     本人が無反応もしくは他のサイン等を出したら、
     「No」のサインを示し模倣させる。
     ただし、このとき「好みでない」ほうのお菓子を提示する必要があるので、
     あらかじめ親は本人の好みを大体把握しておく必要がある。

 結果:1週間で、「好みでない」お菓子を差し出されたら「No」と伝えれるようになった。
     提示されるお菓子は、毎回同じではなかったのですが、
     ↑に書いたようにすでに他のものを要求するということができていたので、
     すんなりできたんだと思います。

 今後、同じような課題を、異なる場面や異なる対象に対して設定していき、最終的に「模倣をさせる」というステップを経なくても、最初から「No」のサインが出せるようになったところで、「『No』のサインを習得した」と判断して、終了することにします。

 ちなみに、今、取り組んでいるのは、「ご飯を食べる場面でふりかけを提示する(海苔のほうが好み)」「外で楽しく遊んでいるときに『帰る?』と聞いてみる」を行っていますが、まだ正反応が出るには至っていないので、今のところひさ吉は限られた場面でしか「No」が使えていないといえると思います。

 

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「No」を教える その1

 ひさ吉は、「No(拒否、否定)」のコミュニケーション手段をもっていません。(正確に言うと無くはないのですが。。。)

 “拒否、否定”を表現できないということは、対応する人間にとってさほど不都合なことはありません。むしろ、拒否しないわけですから、こちらの思い通りに動かすことができるので好都合であるため、これまで放置してきました。

 ところが、最近、様々な要求を伝えれるようになってきており、逆に、伝えたいことが伝わらないもどかしさのようなものを様々な形(例えば、問題行動であったり、「泣く」という形であったり)で表出するようになってきました。

 そこで、本人が「伝えたいこと」はたくさんあるんでしょうが、そのなかでも「いやだ」「ちがう」を伝えたかったのではないかという場面が多いと感じ、「No」を教えることにしました。 

 ひさ吉の「No」の表現について、もう少し細かく言うと、伝えることが「できるとき」と、「できないとき」があります。

 ①「できるとき」で一番にあげられるのは、病院やそれに近い建物に入るときのパニックに近い表現、医療行為に対する力づくの抵抗があります。
 ②もうひとつの「できるとき」は、食べたくない食べ物をすすめられたときです。すすめられたものを“押し返す”ことで、「いらない」と表現します。他のもの(例えば、遊具、絵本など)をすすめられて同様の表現をするのは見たことがありませんので、きちんと表現できるのは、食べ物の場面くらいでしょう。

 ③「できないとき」のなかには、こちらがそのような状況であると判断可能な場合もあって、例えば、公園などで遊んでいて「もう帰る?」と聞いたときです。この場合、ひさ吉は帰りたければ頷いて帰る方向に歩き出しますが、帰りたくないときは“無反応”でいることにより、こちらが「帰りたくないんだな」と判断します。つまり、反応を期待している相手に対して、「無反応」でいることで「表現」しています。これでは、相手に理解されない場合も多いと思われます。
 ④その他「できないとき」は、イヤなことがあってもその場では表現できず、周りにも理解されず、後になってパニックや問題行動が出て、「さっきのアレがイヤだったのかな」とこちらが推測する場合です。例えば、ある指示が出て、何が何でもイヤではないのでその場では指示に従ったけど、後からフツフツとその思いが沸いてくるような場合です。このような場合、最終的には指示に従うにしても、その思いが表出できるかどうかで、本人のストレスはかなり違うのでは、と思います。

 今回の取り組みは、③のようにこちらが「No」と理解できる場面をターゲットにして、そのような場面で「No」を表現できるようにし、最終的には④のような場面でも表出してくれることを目標にします。(後半については適切な手だては考えていないのですが。。。)

 尚、「No」のサインとしては、シンプルに「首を振る」というものにしました。
 また、「課題」の選定においては、「ひさ吉のコミュニケーション行動」で記録したコミュニケーション行動の総レパートリーの中などから使えそうなものをピックアップして用いました。

<取り組みの内容>
 差し出されたものが、本人の所望のものでないとき、「No」のサインを出せるようにする。
  課題1:食事中、「醤油」を要求したとき、「ソース」が提示されたら、
       「No」と伝えれるようにする。
       (「醤油」の容器と「ソース」の容器との弁別が可能であることは確認済み)

  方法:本人が「醤油」を要求したとき、母は「ソース」を差出し、これに対し、本人が
      無反応もしくは他のサイン等を出したら、「No」のサインを示し模倣させる。
             サインを表出したら、醤油を与える。

  結果:記録↓の通りです。(わざわざ見るほどのものでもないですが。。。)
       「No1.pdf」をダウンロード
       6日目で正反応が出て、以下三日続けて正反応が出たので、
       「課題1」は終了としました。

 これで一応「課題1」は完了ですが、この時点で、「首を振る」というサインが「No」という意味で使われている可能性はおそらく低いと思います。極端に言えば、「首を振ると、お母さんが醤油を出してくれる」と理解している可能性もあります。
 したがって、今後「課題2」「課題3」・・・と、さまざまな対象、場面を設定して、同様の取り組みを行いながら「No」の意味として使用できる場面を増やしていく必要があると思います。
 今後の取り組みについては、また順次アップしていく予定です。

 

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ひさ吉のコミュニケーション行動 2008

 前回、「No(いいえ、拒否)」を教えたい、ということを書いていますが、
それを取り組むにあたって、ひさ吉の現在のコミュニケーション行動について調べてみました。
その結果が↓です。

「com2008-2006.pdf」をダウンロード

 記録は、2週間にわたって、ひさ吉のコミュニケーション行動の種類を記録し、まとめました。
 なので、この2週間の間に出なかったものもあるかもしれないし、このときだけ出たものもありますが、大体こんなものだと思います。
 今回のデータとしては、1ページ目の左側の部分のみですが、ちょうど2年前に同様にしてとったデータがあったので、それも並べて見ました。
 この中で、「サイン」というのは、いわゆる「マカトン」などの決まったものではなくて、何かジェスチャーのような動作で伝えているものは、ここに入れました。
 また、2ページ目の「分類」というのは、以前は食べ物に関する要求等が多かったので、食べ物に関するものと、そうでないものを分けて、並び替えているだけです。

 こういう結果を見ると、やはり、親としてはうれしいですね。
 一番うれしいのは、やはり、「サイン(動作)」によるコミュニケーションが増えたことです。やはり、「サイン」になると、いろいろなことが伝えれるようになるので、種類が多くなっています。
 また、「飲食系以外」が増えてきたのもうれしいですね。
最近は、学校で習った歌などを歌いながら(いえ、本人は歌えないので、「歌ってもらいながら」)振りをつけて踊るというのが気に入っているので、そういう要求が増えています。
それも、それぞれの歌によって「サイン」を自分で決めて、歌ってほしい歌を要求しています。
この「サイン」なんですが、本人としてはその歌を伝えようとして、その中に出てくる「振り」で必死に伝えようとしていたのですが、まわりの先生や親はそれを理解するのに結構な想像力が必要でした。でも、それを何とか理解して受け入れてやることが、本人のコミュニケーション行動への意欲(強化)につながるということを、改めて感じました。
また、「なんでもいい」ではなくて、「この歌!」というのがあるのも、本人が意思が感じられて、とてもうれしいです。
またさらに、この歌の要求は「歌って!」というよりは、「一緒にやろうよ!」みたいなところがあって、そういう一方的でないところがうれしくもあります。
以前は、食べること以外あまり興味がなさそうだったのですが、歌の他にも絵本や字などにも興味が出てきたことは、とてもうれしいことです。
 また、最近、気にしていなかったのですが、「クレーン」も無くなっています。
 さらに、以前は「手差し(目的のものに向かって手を伸ばす)」で表現していたものが、「指差し(一本指でその方向を指す)」になっており、また、遠くのものも差せるようになりました。

 このように、今回記録をとったことで、改めて本人の成長を具体的に感じることができとてもよかったと思います。

 また、もうひとつ今回記録をとって良かったことは、今まで把握していなかったコミュニケーション手段を見ることができたということです。
2年前の「カレー食べたい」(「手差し」の7件目)もそうだったのですが、今回も「寝たい」(「サイン」の5件目)と「お風呂に入りたい」(「サイン」の8件目)もそうでした。いずれも、この記録をとるまでは、少なくとも親の私は、コミュニケーション手段としてそれぞれを把握していませんでした。
これは、記録をとることによって、当然、親(記録者)は本人の行動にいつも以上に注意深くなっているので、
いままで見逃していたコミュニケーション行動を「発見」するということもあると思いますが、
親(記録者)の反応がよくなるので、コミュニケーション行動そのものが強化され、新しいコミュニケーション行動を自ら生み出すということもあると思います。

 このような記録をとるときは、およそそれまでに把握しているコミュニケーション行動を記録することが多いのですが、
こういう新しい「発見」があると、驚きとともに倍のうれしさがあります。

 

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ひさ吉、涙の訴え!

なんか、ワイドショーのタイトルのようになってしまいましたが。。。

先日、ちょっと心を動かされる出来事があったので、そのことを書いてみたいと思います。

最近、ひさ吉は以前に比べてよく泣くようになりました。
メソメソという感じのときもあるし、オイオイを声を出して泣いているときもあります。
それは、例えばパニックになったときや何かいやなことから逃れようとするときの泣き方とは明らかに異なっています。
しかし、どうして泣いているのか、わかりませんでした。家でそのような状態になるときは、大抵、私が食事の支度などをしていて、本人を見ていないときばかりだったので、
「この忙しいときに、なに泣いてんのよ!もう、めんどくさいなぁ。」
と、口にこそ出しませんでしたが、そういう態度で接していました。
気にならなかったといえばウソになりますが、見て見ぬ振りをしていました。(客観的に見たら、ひどい母親です。。。)
同じ頃、学校のほうからも、そばにいる生徒や先生の頬をつねろうとした、ということが連絡帳に書かれていました。しかも、「いくぞ」みたいな感じで、先生の顔を見ながらやっているというのです。状況の説明としては、遊びをいつもより早めに切り上げなければならなかったとき、その場では指示に従ったが、本人としては納得できていなかったのではないか、ということでした。
なんとなく「注目」されたくてやっていのかな、と思いながら、3回ほど続いたので、状況を把握するためシート(「CB0.pdf」をダウンロード )に記入していただけるようお願いしました。

そして、つい先日、いつものように、夕方、公文教室に送っていったのですが、着いてから筆箱を持っていかなかったことに気づいたので、私がとりに帰えりました。教室に戻ると、すでに、書く課題は始まっていて、教室の鉛筆を借りてやっていました。その後、終わって部屋から先生と出てくるとき、ひさ吉は泣いていました。先生にお話を伺うと、
「自分の筆箱に使っていた鉛筆が入っていないので、それで泣いているみたいなんです。筆箱を指差していたので、多分そうだと思います。教室の鉛筆だと説明しましたが、うまく伝わらなかったみたいで。。。」(それがわかった先生もすごいと思いますが)
とのことでした。
つまり、ひさ吉は使っていた教室の鉛筆を自分の鉛筆と勘違いしたのか、それとももらえたんだと思い込んだのか、その鉛筆が自分の筆箱に入っていないことを先生に訴えていたようなのです。

なんか、すごい!すごいぞ、ひさ吉!

私は、こんな風に自己主張するひさ吉をみたことがありませんでした。
今までだったら、パニックになったり、怒ったり、逃げ出したり、他害を行ったり、そんなことで表現していたと思うのですが、
泣いているとはいえ、筆箱を指差しながら、自分が何とかわかってもらおうとしているとは。。。
私には、自分のいいたいことが伝わらないから、というよりは、
思ったことを伝えることができない(伝える術を持たない)悔しさから泣いているように感じました。

これまで、発語のないひさ吉とって「コミュニケーション」がひとつの大きな課題であることは認識していましたが、今まであまり問題がなかったのをいいことに、
「トイレなどの最低限の要求ができて、こちらの言うことがわかって従うことができればそれでいいか」
ということにしてしまっていました。
個別指導においてA先生からも、本人が選択できる場面を設定することや、食べ物関係以外で要求を出させる場面の設定など、提案されていたのですが、そうしなくても困らないので、
どうしても問題行動や、身辺自立面でできないことをできるようにすることを課題としてしまって、せっかくの提案もうやむやにしてしまっていました。

そして、今回、泣いて訴えるひさ吉を見て、やっぱり言いたいことは表現できるようにしてやりたい!と遅ればせながら強く心に思った次第です。
でも、いくらこちらが強く思ってみたところで、本人に「そうしたい!」と思う気持ちがなければ、なかなかうまくいかないわけですが、
おかげさまで、最近のひさ吉は、学校での活動や家での過ごし方において、かなり積極的で、「ぼくにやらせてよ」という態度も多く見られ、いい時期なのかもしれません。

そこで、今、私が最初に取り組みたいと思っているのは、「No」「いやだ」と表現できるようにすることです。
じつは、ひさ吉の表現には「No」という表現がありません。
「Yes」はうなずくことで表現していますが、「No」に関しては、しいて言えば“無反応”で表現しています。
「するか?しないか?」という疑問文であれば、“無反応”でもなんとか相手が察してくれるでしょうが、
「これ、やりたくない」と思って“無反応”でいても、相手は本人の反応は期待していませんから、わかってもらいようがないのです。
したがって、「やだな」と思いながらも、(逃げていくほどでもないので)指示に従って行い、それがストレスになって問題行動になったのでは、と思われる場面がいくらかあるように思います。

正直、「No」を教えるのは不安です。
今まで、こちらの都合で知らんぷりして従わせてきてしまったのに対し、
拒否を受け入れたり、うまく折り合いをつけたりしながらやらなければならないわけで、
当然ですが、今までより手間がかかるようになるでしょう。
でも、一人の人間として当たり前のことなんですよね。
今回はそれに気づかせていただきました。

 

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